音楽翻訳担当の池上です。
今回はアメリカのポピュラー音楽と政治の関係に関する話を書いてみたいと思いま
す。
2月10日に第61回グラミー賞(Grammy Awards)の授賞式が行われました。今回はラッパーのチャイルディッシュ・ガンビーノ(Childish Gamibino)の『This Is America』という社会性の強い作品が最優秀レコード賞(Record of The Year)や最優秀楽曲賞(Best Song of The Year)など4部門を受賞し、特に日本では、過激な描写が物議をかもした同曲のビデオの監督が日本人のヒロ・ムライ氏だったことが話題となりました。
また日本ではあまり話題になっていないようですが、オープニングのパフォーマンスも注目されました。ここではキューバ出身の女性歌手カミラ・カベロ(Camila Cabello)がリッキー・マーティン(Ricky Martin)らラテン系のミュージシャンたちとステージに立ったのですが、その中であるパフォーマーがベンチに座って新聞を読む場面があり、その新聞のカメラに映った面の見出しに「Build Bridges, Not Walls」と書かれていたのです。「壁を作るのではなく、橋をかけよう」、つまり、明確に言ってはいないものの、メキシコ国境に壁を建設しようとするトランプ大統領に対して、このような形で異議を唱えた、と考えられているわけです。
よく知られていることですが、欧米の歌手や俳優は自分の政治・社会的立場を明確にする傾向があります。昨年11月に行われた中間選挙(Off-year Selection)の際には、女性歌手テイラー・スウィフト(Taylor Swift)が民主党(Democratic Party)支持を明言して投票を呼びかけ、そこから有権者登録が急増したことが大きな話題となりました。特にテイラーの場合、共和党支持者(Republicans)で保守的な人も多いカントリー音楽(Country Music)の出身だったことから、その彼女が民主党を支持したことが驚かれた部分も大きかったようです。
アメリカにおけるポピュラー音楽と政治の関係でわたしがよく思い出すのが、1984年の大統領選のキャンペーンでロナルド・レーガン氏(Ronald Reagan)が当時ヒットしていたブルース・スプリングスティーン(Bruce Springsteen)の『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』(Born in the U.S.A.)を使ったものの、間もなくスプリングスティーン本人から拒否された、というエピソードです。
『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』は、星条旗をあしらったアルバム・ジャケットや、こぶしを振りあげて「Born in the U.S.A.!」とシャウトするブルースの姿から、愛国的なものを感じる人も少なくなかったと思います。レーガン陣営もそのようなイメージでこの曲を使おうとしたのでしょう。ところがこの曲の歌詞を見るとそこに描かれているのは、ベトナム戦争に出兵して母国のために戦ったはずなのに、帰還後に郷里で待っていたのは苦境だった、という内容で、「Born in the U.S.A.」も日本語の意味としてはむしろ「アメリカに生まれたはずなのに」というニュアンスなのです。またスプリングスティーン自身、以前から民主党支持を明言していました。
ポピュラー音楽では歌詞が軽視されることが少なくないのですが、これもまさにイメージが先行してしまい、その歌詞が理解されなかったために起きてしまった事例と言うことができると思います。
どの国でも政治や社会に対する意識は不可欠ですが、特にアメリカの場合、多民族ということもあり、ポピュラー音楽自体が個々の音楽家のバックラウンドと強く結びついていることも多いので、歌詞の翻訳はもちろん、関連する記事などの翻訳においても、政治や社会に関する背景知識は欠かせないものとなっています。
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