生物学翻訳、学術論文翻訳、環境翻訳担当の平井です。
DNAに起きた損傷(damage)は放っておけば細胞の死亡を招いたり、変異(mutation)が固定されて異常な細胞が出現する原因になります。そのため、丁寧に損傷を発見し、損傷を修復(repair)する機構が日常的に働くことになります。翻訳候補となるmRNAは短い寿命の消耗品(consumables)であるため、異常かどうかをチェックする機構があるなどとは考えられていませんでしたが、現在では、mRNAの異常監視システムが明らかとなっています。
遺伝子に変異が発生して、mRNAの翻訳領域の一つが終止暗号(terminator codon)になった場合にはどうなるでしょうか。その時点までは細胞内の翻訳会社によって順調にタンパク質合成が進みますが、新たに終止暗号ができるとそこで終了となり、結果として翻訳産物が遊離することになります。短いタンパク質は機能しないため、明らかにムダなものになります。ところが、途中に終止暗号ができたmRNAを積極的に分解する機構があるというのだから驚きです。この機構をNMD(nonsense mediated mRNA decay)といいます。ナンセンス変異で誘導されるmRNA分解です。
しかし、間違ってできた終止暗号と、本来の正しい終止暗号をどのように見分けるのでしょうか。実は、下流のイントロン(intron)が抜けた場所から、50塩基以上上流にある終止暗号は異常と見なされます。本来、それほど上流には終止暗号がないはずですが、そういう場所に終止暗号を持ったmRNAがあれば、これを異常と見なして次々に分解するらしいです。それより後ろに終止暗号がある場合にはmRNAが分解されず、少し短いタンパク質が翻訳されることになります。しかし、シッポの方が少し短くなった程度の翻訳済みタンパク質は、正常な機能を保持している可能性が高いそうです。細胞がこのような機構まで備えていることに、驚くほかありません。
正常な機能を持たない短いタンパク質の合成では、翻訳会社がかなりのエネルギーを浪費することになります。その理由は、アミノアシルtRNA(aminoacyl tRNA)を作るのにアデノシン三リン酸(ATP:adenosine triphosphate)が消費されるだけでなく、翻訳開始やペプチド延長(peptide elongation)でもグアノシン三リン酸(GTP:guanosine triphosphate)が消費されるからです。しかし、中途半端な短いタンパク質が合成されないようにmRNAを分解することは、翻訳産業の単純な経済的効果だけではないと考えられます。
それは、短いタンパク質が本来の仕事をしないだけならまだよいのですが、中途半端に変な機能を持って、余計で妨害的な働きを持ってしまう恐れがあるからです。つまり、正常な機能を妨害する可能性があるというわけです。従って細胞には、不完全な翻訳済みタンパク質を見分けて、積極的に分解する仕組みがあります。タンパク質の品質管理とか、ユビキチン・プロテアソーム分解系(ubiquitin-proteasome cleavage system)といわれる機構がそれです。しかし、そういうタンパク質が翻訳されないようにすることも、不測の事態を未然に防ぐ上で重要なのかもしれません。
実は細胞は、逆の場合にも手を打っています。本来の終止暗号に変異が起きて翻訳候補のアミノ酸暗号が変化した時には、本来の終止暗号を超えてポリAの部分まで翻訳が進むことになります。そして、RNA真のコドンはAAAということで、塩基性アミノ酸(basic amino acid)であるリシンがたくさん繋がった、塩基性の強い変なタンパク質が翻訳されます。実際に最初の翻訳会社は、ポリAまで仕事を進めるとそこで停止して信号を出します。すると、前のほうにある翻訳会社はすべてmRNAから外れて、タンパク質合成の進行が止まるらしいです。つまり、異常なタンパク質一つが翻訳されても、他のタンパク質合成がそれに続くというわけではありません。しかも、異常停止した翻訳会社があると、mRNAからキャップ結合タンパク質(cap binding protein)が外れて、mRNA分解が促進されます。細胞内の翻訳産業ではいろいろな工夫が凝らされているのだなぁと感心します。
|