音楽翻訳担当の池上です。
今回はジャズ(Jazz)のアドリブ(即興演奏/ Improvisation)について書いてみたいと思います。
「ジャズ」という名のもとで今われわれが聞いたり演奏したりする機会が多いのは、1940年代のビバップ(Bebop)に端を発するモダン・ジャズ(Modern Jazz)と言われるスタイルのものです。ここでは基本的に、演奏のテーマ(Theme)となる曲のコード進行(chord progression)に基づいて、そのコードの構成音や、そのコードにあてはまる音階(scale)などを組み合わせて即興で演奏する、という方法が主流となっています。
このような、特定のコードやコード進行に対して<この音を使う>という考え方のひとつのあらわれとして、ジャズの世界では「リック(lick)」というものが生まれています。いわば「定番フレーズ」というべきものです。日本では「リック」という言葉はあまり使われず、「フレーズ」という言い方が多いように思います。例えばジャズには「II-V」(ツー・ファイブ、理論的な話はここでは割愛させていただきます)というコード進行が多く使われるのですが、そこからこの進行にあてはめて使える「II-V Licks」、「II-Vフレーズ」というのが重要視され、そのフレーズ集が本として出版されたりもしています。
ただ、ここ数年の間に読んだジャズ・ミュージシャンの本の中で、このような「汎用フレーズ」とでも言うべき考え方を否定するような記述に触れることがあり、個人的にこの問題にあらためて関心を持っているところです。
ひとつは、音楽学者である岡田暁生氏とジャズ・ピアニストのフィリップ・ストレンジ(Phillip Strange)氏の共著である『すごいジャズには理由(わけ)がある』(アルテス・パブリッシング刊)です。
ストレンジ氏は神戸の甲陽音楽院で長く講師を務められたアメリカ出身の白人ジャズ・ピアニストで、グレン・ミラー楽団など、比較的トラディショナルなスタイルのジャズを中心にキャリアを重ねてきた音楽家です。
この本の中でストレンジ氏は、曲のテーマのメロディを意識することの重要性を力説し、テーマの中の特徴的な音づかいを転回するなどの手法を使うことで、アドリブに入っても曲としての一貫性を失わないことが大切だと述べています。その「悪い例」として、30年以上前に日米で人気が出た、あるアメリカ人サックス奏者のアドリブについて「アドリブに入った最初の部分からただコード進行に合った音を使うばかりで、テーマとのつながりがまったく感じられない」と強く批判しています。
このような、テーマのメロディの転回の重要性ということと、上記の「リック」の考え方には対立する部分があるな、と「すごいジャズには」を読んで思いました。
もうひとつ同じような問題への言及が、現在もアメリカで活躍するベテランのピアニスト、フレッド・ハーシュ(Fred Hersch)の自伝『Good Things Happen Slowly』(未邦訳)の中にありました。
ハーシュ氏は演奏に臨む際、演奏する曲に合わせた「リック」を事前に準備して練習しておく、というやり方を「自分の好みではない」と書いています。そのようなフレーズに頼るのではなく「それぞれの曲が個々に持つ世界を大切にする」ということを第一にアドリブを展開する、という姿勢のようです。
「事前にフレーズを用意する」というのは、どこか日本人の気質に合うところもあるようで、日本ではそのようなフレーズのストックを作ることが重視される傾向が強いと感じます。しかしストレンジ氏やハーシュ氏の考え方に触れると、ほんとうに良いジャズを演奏しようとしたら、アドリブの手法に対する考え化を変えたほうがいいのではないか、と思うようになっています。
このアドリブへのアプローチの仕方というのは、本場のアメリカでも時代によって変化している部分もありますので、そのあたりの問題については稿を改めて書いてみたいと思います。
|