音楽翻訳担当の池上秀夫です。
先日ひとりのジャズマンがこの世を去りました。テナーサックス(tenor saxophone)奏者のスティーヴ・グロスマン(Steve Grossman、Jan. 18, 1951 ‐ Aug. 13, 2020)。その才能を高く評価されつつも商業的な成功には恵まれなかった「破滅型天才」と言うべき人物でした。
グロスマンはニューヨークのブルックリン生まれ。「ジャズの帝王」の異名をとるトランペット奏者マイルス・デイヴィス(Miles Davis)のグループへの参加をきっかけに注目されるようになりました。その演奏は『マイルス・アット・フィルモア』(Miles Davis At Filmore)などのアルバムに残されています。弱冠19歳という若さでのマイルス・グループ参加とその目覚ましい演奏があいまって「天才あらわる」と注目を集めることになりました。
1971年から1973年にかけてはドラムスのエルヴィン・ジョーンズ(Elvin Jones)のグループに参加し、デイヴ・リーブマン(Dave Liebman)とのいわゆる「2サックス」の編成で熱いバトルを繰りひろげました。このグループが残した『Live At Lighthouse』というライブ盤は、日本のサックス奏者たちの間でも長く「必聴アイテム」とされてきました。
ただグロスマンが登場したのはジャズという音楽にとって「冬の時代」というべき厳しい時代で、グロスマン自身もジャズというよりはフュージョン寄りの演奏を求められることが多く、なかなか自分の持ち味を発揮することができずにいました。
その状況が変化してきたのが80年代中盤。イタリアの「Red」や日本の「DIW」などのレーベルに録音したストレートなアコースティック・ジャズの演奏が高い評価を得ることとなり、日本でも86年、87年と続けてツアーを行いました。ただ、注目があつまることで彼がかかえる問題も明らかになったことは否めません。
グロスマンは演奏もパーソナリティーもいわば「豪放磊落」。骨太で豪快な演奏が何よりの魅力です。しかしパーソナリティー的には、よく言えば豪放磊落ですが、悪く言えば傍若無人ということになってしまう。またアルコールがその問題をさらに悪くしていた部分も否めません。
わたしは87年の来日時に生の演奏に接する機会を得ました。この日の彼は絶好調で、それまで他に聞いたことがないような大きい音で、どれだけ吹いても吹き足りないと言わんばかりの名演をきかせてくれました。しかし好不調の波がとにかく大きく、日によっては泥酔してステージ上で椅子に座ったままほとんど演奏できないまま終わる日もあったようです。もともと自己管理に気を配るところのない性格だったところにアルコールの問題が加わって、本人もコントロールがままならないところがあったようです。
演奏の波が大きいことに加え、ステージを降りても扱いの難しい人物だったようで、せっかく実現した日本での活動も、ほとんどのプロモーターが手を引くことになってしまい、しりすぼみになってしまいました。
その後はイタリアに拠点を移して活動を続け、リーダー作もそれなりに残してはいるのですが、80年代当時の輝きを取り戻すことはありませんでした。
天賦の才に恵まれながら時代の波に乗ることができず、商業的な成功とは無縁でしたが、やはりその演奏の魅力は大きく、「記憶に残る名ジャズマン」と言っていいかもしれません。ご冥福をお祈りします。
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